神社一覧




京都検定クイズに出題されている神社一覧です。(50音順)※随時アップデート

愛宕神社(あたごじんじゃ)

京都市内最高峰の愛宕山(924m)の山頂に鎮座する愛宕神社(あたごじんじゃ)は、全国に約900社ある愛宕神社の総本社。愛宕山は、比叡山などとともに修験道の重要な修行場であり、多くの修験者が訪れた。毎年数万人の参拝者で賑う「千日詣り」が7月31日の夜から8月1日の未明にかけて行われ、千日分の火伏せの御利益があるとされる。また、3歳までに参拝すると、一生火難に遭わないという言い伝えがあり、親子連れも多く参拝する。

天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)

福知山市にある天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ、「元伊勢天岩戸神社」)は、伊勢神宮が創建される以前に天照大神が降臨した聖地を祀ったとされる神社で、険しい岩戸渓谷にあるため鎖を伝って崖を登って参拝するという、全国的にも珍しい特徴を持つ神社。日本神話の舞台である宮崎県高千穂の「天岩戸神社」とは異なり、「元伊勢三社」の一つとして知られている。
※元伊勢三社とは、「皇大神社(こうたいじんじゃ、元伊勢内宮)」と「豊受大神社(元伊勢外宮)」の伊勢神宮の元宮、「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の3社(すべて福知山市)を指す。

綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)

京都市南区にある綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は、521年(継体天皇15年)に「大井社」として創建されたと言われ、その後、965年(天暦9年)に「綾戸社」に改称され、戦国時代に「國中社」が合祀されて現在の「綾戸國中神社」となった。1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊、翌々年に再建されるも、東海道新幹線の開通に伴い、1964年(昭和39年)に現在の場所へ移転した。
※久世駒形稚児(くぜこまがたちご)とは、祇園祭の神幸祭と還幸祭で八坂神社の祭神を乗せた神輿を先導する稚児のこと。綾戸国中神社の氏子から選ばれ、神の化身として馬の頭をかたどった神体「駒形」を胸に下げて白馬に乗るのが特徴。

粟田神社(あわたじんじゃ)

京都市東山区の粟田口に鎮座する粟田神社(あわたじんじゃ)は、平安時代初期の876年(貞観18年)に疫病退散を願って創建された神社。また、当時の京都の主要な出入口であった粟田口にあったことから、旅立ち守護の神様としても知られている。毎年10月に行われる粟田神社の祭礼では、祇園祭の山鉾の原形とされる「剣鉾」が巡行するほか、巨大な灯籠が街を練り歩く粟田大燈呂も行われる。

生身天満宮(いきみてんまんぐう)

南丹市園部にある生身天満宮(いきみてんまんぐう)は、道真公の別荘があった園部の地の代官で道真公の八男・慶能君(けいのうくん)を匿い育てた武部源蔵(たけべげんぞう)が、道真公が太宰府へ左遷された際、その再興を願って道真公の木像を彫り、「生祠(いきほこら)」として901年(延喜元年)に建立したことから始まる、全国で唯一、道真公が生きている間に建てられた「日本最古」の神社(天満宮)。
※水火天満宮(すいかてんまんぐう)は、醍醐天皇から初めて「天満宮」の社号と公認を与えられたため「日本最初」の天満宮とされている。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)

平清盛が母の祇園女御(ぎおんにょうご)のために創建したと伝えられる京都御苑内にある厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、「池の弁天さん」という名で親しまれている。その名の通り、広島県の厳島神社を勧請(かんじょう)したもの。
※勧請とは、神仏や高僧を他の場所に移して祀るようにお願いすること。

出雲大神宮(いずもだいじんぐう)

飛鳥時代の709年(和銅2年)に建立されたと伝わる亀岡市にある出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は、日本神話の「因幡の白うさぎ」で知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)と后神・三穂津姫命(みほつひめのみこと)が主祭神で、恋愛、夫婦円満、家内安全など、あらゆる良縁を結ぶ「日本一の縁結びの神様」として信仰されている。島根県の出雲大社より歴史が古く、「丹波国風土記」の記述によれば、大国主命(おおくにぬしのみこと)は出雲大神宮から島根の出雲大社へ遷座されたため「元出雲」という別称を持つという。現在の本殿は、鎌倉時代後期から室町時代初期にかけて足利尊氏によって修造されたと伝えられている。御神体山である千年山(ちとせやま)から湧き出るミネラルが豊富な「真名井の水」は、どんな病にも効く痛み止めの水と言われる。

市比賣神社(いちひめじんじゃ)

桓武天皇の命により藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が官営市場の守護神として平安京遷都の翌年に創建された歴史ある神社。現在も京都の市場の守護神として信仰されている。また、御神祭がすべて女性神であることから良縁、健康、安産など女性の全ての願い事に御利益があるとされ、「女人厄除け」の神社として全国から多くの女性が参拝に訪れる。境内に湧き出る名水「天之真名井(あまのまない)」は、歴代天皇の産湯に使われたと伝えられている。

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)

京都三熊野社の一つ、京都市東山区にある新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、平安時代後期の1160年(永暦元年)に、後白河上皇の命を受けた平清盛によって創建された。紀州の「古い熊野」に対して「京の新しい熊野=いまくまの」と呼ばれるようになった。
※京都三熊野社は、「熊野神社」、「熊野若王子神社」と「新熊野神社」。後白河上皇お手植えと伝わる「影向の大樟(ようごうのおおくすのき)」が健康長寿や「お腹の神様」として信仰され、また、観阿弥・世阿弥父子が足利義満の前で「新熊野神事猿楽」を演じたことから能楽発祥の地の一つとされる。

新日吉神宮(いまひえじんぐう)

三十三間堂にも近い京都市東山区にある新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、1160年(永暦元年)、後白河上皇が自身の御所である法住寺殿の鎮守神として、比叡山の日吉大社から神様を勧請して創建された神社。酒造、医薬、縁結びの神として信仰が篤く、また、日吉大神のお使いである神猿(まさる)は、鬼門除けや災難除けの御利益もあるとされている。

今宮神社(いまみやじんじゃ)

京都市北区にある今宮神社(いまみやじじゃ)の歴史は古く、平安時代に疫病が流行した際、疫病を鎮めるための御霊会を行ったのが起源といわれる。徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)が、今宮神社を篤く信仰したことから「玉の輿神社」とも呼ばれるようになった。毎年4月第2日曜に行われる「やすらい祭」は疫病鎮静の祭礼で「京の三奇祭」のひとつに数えられる。
※「京の三奇祭」は、「鞍馬の火祭(由岐神社)」、「太秦の牛祭(うずまさのうしまつり)(広隆寺、大避(おおさけ)神社」、そして今宮神社の「やすらい祭」。

岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)

宇治川、木津川、桂川の3河川を望む男山に鎮座する八幡市の岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、平安京の裏鬼門を守る社を創建するために、859年(貞観元年)に僧・行教(ぎょうきょう)によって宇佐八幡宮(大分県)から男山に勧請されたのが始まり。創建以来、皇室や源氏をはじめとする武将たちから厚い信仰を集め、国の守護神として崇敬されてきた。現在の社殿は、1634年(寛永11年)に徳川家光によって再建されたもの創建で、織田信長が寄進したとされる「黄金の雨樋」がある。
※八幡宮とは、「八幡大神(応神天皇)」を祭神とする神社の総称で、特に源氏の氏神(守護神)となることで全国の武家から広く崇敬されるようになった。
※三大八幡宮は、宇佐神宮(大分県)、筥崎宮(はこざきぐう、福岡県)と石清水八幡宮(京都府)。
※「宗廟(そうびょう)」とは、祖先を祀る場所のことで、天照大御神を祀る伊勢神宮(第一の宗廟)と八幡大神(応神天皇)を祀る岩清水八幡宮(第二の宗廟)で「二所宗廟」言われる。

宇治上神社(うじがみじんじゃ)

京都府宇治市にある宇治上神社(うじがみじんじゃ)は、本殿が現存する日本最古の神社建築として世界遺産に登録されている神社。本殿は、平安時代後期(1060年頃)に建立されたと伝えられている。「うさぎ」モチーフのお守りや御朱印も人気がある。
※日本最古の神社は、奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)。

宇治神社(うじじんじゃ)

京都府宇治市にある宇治神社(うじじんじゃ)は、応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)を祭神とする神社で、「宇治の産土神」として学業や安産のご利益があるとされている。宇治神社と宇治上神社(世界遺産)は元々一体の神社(宇治離宮明神、または宇治離宮八幡宮)で、宇治上神社を上社、宇治神社を下社として信仰されていたが、1886年(明治19年)に宇治上神社が宇治神社から分離独立して現在の名称となった。現在でも宇治上神社へと続く参道に石碑があり、境内で繋がっていた名残を見ることができる。鎌倉時代初期に建てられた本殿は国の重要文化財に指定されている。

梅宮大社(うめのみやたいしゃ)

京都市右京区にある梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、奈良時代に橘諸兄の母・県犬養三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)が橘氏の氏神として創建した神社。酒造の神様、子授け、安産の神様として広く信仰されている。平安時代に檀林皇后(だんりんこうごう)によって現在地に移転された。近年は「猫神社」としても注目を集めている。
※檀林皇后(だんりんこうごう)は橘嘉智子(たちばなのかちこ)の異称で、嵯峨天皇の皇后。仏教に深く帰依し、日本で最初の禅宗の寺院である「檀林寺」を建立したことからこの名で呼ばれるようになった。

恵比須神社(えびすじんじゃ)

鎌倉時代に建仁寺の鎮守として創建され、「京のえべっさん」として親しまれている「日本三大えびす」の一つとして親しまれている恵比須神社(えびすじんじゃ)は、商売繁盛、家運隆盛の神様である恵比寿様をお祀りする神社。また、栄西禅師が中国から無事に帰還してお祀りしたという故事から、「旅ゑびす」として旅行安全の神様としても信仰を集めている。1月8日から12日まで開催される「商売繁盛でササ持って来い」の掛け声とともに吉兆笹が授与される「十日ゑびす」は、多くの参拝客で賑わう。
※日本三大えびすは、西宮神社(兵庫県)、今宮戎神社(大阪府)と恵比須神社。

大石神社(おおいしじんじゃ)

京都市山科区にある大石神社(おおいしじんじゃ)は、忠臣蔵の「大石内蔵助」と赤穂四十七義士を祀る神社で、浪曲師・吉田大和之丞(初代吉田奈良丸)が提唱し、全国の崇敬者の募金によって1935年(昭和10年)に創建された。主君の仇討ちという大願を果たすことにちなみ、「大願成就」の神徳があるされる。討ち入りの様子を描いた「四十七士図屏風」や、内蔵助直筆の書、義士ゆかりの品々が展示されている。「大石桜」と呼ばれる樹齢300年の枝垂れ桜や、毎年12月14日に義士行列が行われる「義士祭」が見どころ。

大豊神社(おおとよじんじゃ)

「哲学の道」にも近い京都市左京区の大豊神社(おおとよじんじゃ)は、887年(仁和3年)に宇多天皇の病気平癒祈願のために創建された歴史のある神社。その後、寛仁年間(1017年~1021年)に現在の場所に移転した。学問の神様・菅原道真公が祀られいる。狛犬の代わりに「狛ねずみ」「狛きつね」「狛猿」「狛鳶」「狛巳(白蛇・黒蛇)」など、珍しい動物の神使が鎮座する神社。

大原野神社(おおはらのじんじゃ)

京都市西京区にある大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、784年の長岡京遷都の際に、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が藤原氏の氏神として奈良の春日大社の分霊を勧請したのが始まりで、「京春日」とも称される。奈良興福寺の「猿沢の池」を模したとされる「鯉沢の池」や清和天皇が産湯に使ったという「瀬和井の清水(せがいのしみず)」、また、春の桜や秋の紅葉など四季折々の美しい景観が楽しめる。紫式部の氏神社としても知られている。

岡崎神社(おかざきじんじゃ)

岡崎神社(おかざきじんじゃ)は、狛うさぎ、子授けうさぎ、招きうさぎなど、境内がウサギづくしで「うさぎ神社」として親しまれている神社。794年(延暦13年)の平安京遷都の際に、桓武天皇によって王城鎮護のために四方に建立された社のひとつで、都の東に位置することから「東天王」とも呼ばれる。

折上稲荷神社(おりがみいなりじんじゃ)

京都市山科区にある折上稲荷神社(おりがみいなりじんじゃ)は、奈良時代初期の711年(和銅4年)創建とされた伏見稲荷大社と並ぶ最古の稲荷神社の一つで、女性の病気回復や仕事運、商売繁盛、良縁などのご利益があるとされている。江戸時代末期に孝明天皇が女官の健康を祈って「長命箸」を奉納したところ、女官の病気回復に御利益があったことから「折り紙付き」の御利益が広まり、「働く女性の守り神」として篤く信仰されている。
※「折り紙付き」とは、当時の公式文書が横半分に折った紙に書かれていたことから「折り紙」と呼ばれた。それが転じて、人や物事が「信用できる」「間違いがない」と保証されるときに用いるようになった。

花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)

903年(延喜3年)に醍醐天皇の勅命で創建された京都市山科区にある花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)の境内には、弥生時代の古墳である「稲荷塚」があり、平安時代の刀工・三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が狐の相槌(刀鍛冶の助手)の力を借りて名刀「小狐丸(こぎつねまる)」を鍛えたという伝説が残る。また、赤穂浪士の大石内蔵助も必勝祈願に訪れたともいわれる。

神谷太刀宮(かみたにたちのみや)

京丹後市にある神谷太刀宮(かみたにたちのみや)は、「延喜式神名帳」に記載のある「神谷神社(かみたにのじんじゃ)」と、「太刀宮」が合祀(ごうし)された二社一体の神社。太刀宮は、崇神天皇(すじんてんのう)時代に、四道将軍の一人・丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)が、この地を平定した後に亡くなった際、丹波道主命が身につけていたとされる宝剣「国見の剣」を御神体として祀ったことに由来する。
※崇神天皇は、実在した可能性のある最初の天皇とする説があり、その治世は考古学的には3世紀後半から4世紀前半と推定されている。
※石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ、大阪府)は、刀剣の聖地として刀剣ファンに人気の神社。

菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)

菅大臣天満宮の通称で知られる菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)は、菅原道真公の生誕の地と伝えられる邸宅跡や学問所の跡に建つ天満宮。産湯に使われたとされる「天満宮誕浴の井」や、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ」と詠んだ「飛梅」が飛び去ったとされる境内には、梅の木が植えられている。現在の本殿は、1835年(天保6年)に下鴨神社で建立された旧殿を1869年(明治2年)に移築されたもの。

吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)

東寺にも近い京都市南区にある吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)は、朱雀天皇の勅命により934年(承平4年)に創建された、北野天満宮よりも古い道真公の生誕の地と伝わる地にある「最初の天満宮」。へその緒を埋めたとされる「胞衣塚」、少年時代の習字の際に使った「硯の水」、顔を映したという「鑑の井」など、道真公ゆかりの遺跡が多く存在する。毎年4月25日の春大祭と8月25日の夏大祭には、境内にて国の重要無形民俗文化財である「六斎念仏踊(ろくさいねんぶつおどり)」が奉納される。

首途八幡宮(かどではちまんぐう)

北野天満宮にも近い京都市上京区にある首途八幡宮(かどではちまんぐう)は、もともとは内野八幡宮と呼ばれてたが、源義経が奥州へ旅立つ際に、この神社で道中安全を祈願したことから「首途(かどで)」と呼ばれるようになったと伝わる。

上賀茂神社(かみがもじんじゃ)

京都最古級の神社のひとつで、2600年以上の歴史を持つと伝えられる上賀茂神社は、正式名称を賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といい、雷の神様である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)を祀り、厄除けや必勝の神として信仰されている。境内は世界文化遺産に登録されている。毎年5月15日に行われる「葵祭(あおいまつり)」は、上賀茂神社と下鴨神社で行われる神事。

北野天満宮(きたのてんまんぐう)

京都市上京区にある北野天満宮は、多治比文子(たじひのあやこ)、神良種(みわのよしたね)、最珍(さいちん)らによって平安時代中期の947年(天暦元年)に菅原道真の御霊を鎮めるために創建された神社で、道真を祀る全国約12,000の天満宮・天神社の総本社。学問の神様として知られ、特に受験シーズンには合格祈願に訪れる人々で賑わう。道真公の命日にあたる2月25日には、彼が愛した梅の花を供え道真を偲び感謝の祈りを捧げる「梅花祭(ばいかさい)」 が行われる。 特に京都府の北野天満宮や福岡の太宰府天満宮で盛大に行われ、春の訪れを告げる風物詩として親しまれている。

貴船神社(きふねじんじゃ)

貴船神社(きふねじんじゃ)は、創建年代は不詳であるが、約1300年前の677年(白鳳6年)とも言われる非常に古い歴史を持つ神社。全国に約2000社ある貴船神社の総本宮。水の神様である高龗神(たかおかみのかみ)を祀り、縁結びや開運のご利益があることで知られている。

京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)

霊山観音からも近い京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)は、1868年(明治元年)に「霊山官祭招魂社」として創建されたが、1939年(昭和14年)に現在の名前に改称された。坂本龍馬や木戸孝允(桂小五郎)などの幕末の志士たちや、日清・日露戦争、太平洋戦争で亡くなった英霊が祀られている。

熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)

「哲学の道」の端にある熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)は、1160年(永暦元年)に後白河上皇が熊野権現を勧請して創建した京都熊野三山のひとつで、京都の熊野参詣のため永観堂(禅林寺)の守護神として建てられた。ご神木の梛(なぎ)の木が「あらゆる苦難をなぎ倒す」力があるとして信仰を集めている。後白河上皇は34回も熊野(和歌山)へ参詣している。
※京都熊野三山は、熊野神社、熊野若王子神社、新熊野神社。熊野三山(和歌山)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社を指す。

車折神社(くるまざきじんじゃ)

京都市右京区嵯峨朝日町の車折神社(くるまざきじんじゃ)は、平安時代後期の儒学者・清原頼業(きよはらのよりなり)を祀る神社。境内の末社「芸能神社」は、芸能・芸術の神様を祀り、多くの芸能人が訪れるパワースポットとして有名。芸能神社のほか、悪縁切りの「清めの社(きよめのやしろ)」やパワーストーン「祈念神石(きねんしんせき)」など、ユニークなパワースポットとして有名な神社。毎年5月第3日曜日に嵐山の大堰川(おおいがわ)で「三船祭」が行われる。

鍬山神社(くわやまじんじゃ)

709年(和銅2年)に創建された1300年以上の歴史を持つ亀岡市の鍬山神社(くわやまじんじゃ)は、大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命)が、かつて湖だった亀岡盆地を開拓した時に使われた鍬が山のように積もったという伝説に由来し、その名前がついた。本殿では大己貴命と誉田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)(八幡宮)の二柱を祀っている。毎年10月には亀岡祭(かめおかまつり)が行われ、24日と25日の「亀岡祭山鉾行事」では、豪華な装飾が施された11基の「山鉾(やまほこ)」が城下町を巡行する。山鉾が町を彩る様子は「丹波の祇園祭」とも呼ばれている。

皇大神社(こうたいじんじゃ)

福知山市にある皇大神社(こうたいじんじゃ、「元伊勢内宮皇大神社(もといせないくうこうたいじんじゃ)」は、天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に、一時的に祀った場所と伝わるため「元伊勢」と呼ばれる。伊勢神宮には「内宮(ないくう)」と「外宮(げくう)」があり、内宮は天照皇大神、外宮は豊受大神(とようけおおみかみ)を祭神とする。
※元伊勢三社とは、「皇大神社(こうたいじんじゃ、元伊勢内宮)」と「豊受大神社(元伊勢外宮)」の伊勢神宮の元宮、「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の3社(すべて福知山市)を指す。

護王神社(ごおうじんじゃ)

護王神社(ごおうじんじゃ)の創建年は不明であるが、元々は平安京遷都に尽力じた和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀る霊社として高雄山神護寺の境内にあったものを、1886年(明治19年)明治天皇の勅命により現在の京都御所蛤御門前に社殿が造営され神護寺から遷座された。和気清麻呂が「猪」に助けられ、足の怪我が治癒したという故事から、足腰の病気や怪我の回復にご利益があるとされている。「いのしし神社」として狛犬(こまいぬ)の代わりに狛猪(こまいし)が置かれている。

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)

京都市伏見区にある御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の創建時期は不明であるが、862年(貞観4年)に境内から良い香りのする清泉「御香水」が湧き出し、この水を飲むと病気が癒えたことから、清和天皇より「御香宮」の称号を賜ったのが始まりとされる。現在もこの御香水は伏見の水を代表する名水として環境省の「名水百選」に選ばれている。徳川家康が寄進した桃山時代を代表する絢爛豪華な極彩色の彫刻が施された本殿や、伏見城の大手門と伝わる表門がある。

五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)

京都市下京区にある五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)は、平安遷都の794年(延暦13年)に空海(弘法大師)が創建した洛中最古の神社の一つで、医薬や農耕の神である少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る神社として信仰されている。毎年節分に授与される日本最古といわれる「宝船図」は、厄除けや病除けのご利益があるとされている。源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が出会った場所という伝説も残っている。

木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)

京都市右京区にある木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、秦氏ゆかりの古社で、境内の摂社「養蚕神社」に養蚕、織物、染色の守護神が祀られていることから「蚕の社(かいこのやしろ)」呼ばれている。神社の奥にある「元糺の池(もとただすのいけ)」で行われる夏の土用の丑の日の「御手洗祭」では、池に足を浸して身を清める神事に参加できる。

籠神社(このじんじゃ)

宮津市の天橋立の北端に位置する籠神社(このじんじゃ)は、伊勢神宮に祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)と豊受大神(とようけおおみかみ)が、伊勢に遷(うつ)る前にお祀りされていた場所にある「元伊勢籠神社」とも呼ばれる古社。伊勢神宮と同じ「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」の社殿や、伊勢神宮と籠神社にのみ許されている「五色の座玉(すえたま)」が特徴。また、神話の時代にまで遡る日本最古の家系図「海部市系図(あまべしけいず)」や、鎌倉時代に作られた「狛犬」など、多くの重要な文化財を所蔵している。

御霊神社(ごりょうじんじゃ、上御霊神社)

785年(延暦4年)、長岡京造営の責任者であった藤原種継が暗殺された事件で、桓武天皇の実弟で皇太子の早良親王(さわらしんのう)がこの事件に関与したとして、早良親王に淡路への流罪を命じ、無罪を訴えた早良親王は淡路で死亡した。その後、桓武天皇の周囲で不幸が相次いだため、人々は早良親王の祟りだと考えはじめ、天変地異や疫病流行は怨霊の祟りであるという「御霊信仰」が盛んになっていった。現在では「上御霊神社」とも呼ばれている。

御霊神社(ごりょうじんじゃ)

福知山市にある御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、由良川の治水工事など、地域経済の発展に貢献した明智光秀を祀る神社。1705年(宝永2年)に創建され、1918年(大正7年)に現在の場所へ遷座された。
※御霊神社とは、非業の死を遂げた人物の怨霊を鎮めるという「御霊信仰」に基づいて建立された神社で、代表的なものに、桓武天皇が平安京の守り神として早良親王の御神霊を祀った御霊神社(上御霊神社)や、平安時代に都で流行した疫病を鎮めるため創建された下御霊神社がある。

西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)

京都市右京区にある西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)は、淳和天皇が833年(天長10年)に奈良の春日大社から分霊を迎え、淳和院(西院)の守護神として創建した平安時代の古社。崇子内親王が天然痘(疱瘡)を患った際に、神前の石に疱瘡が移って快復したという「疱瘡石(ほうそうせき)」の伝説から病気平癒、災難厄除の神として崇められている。毎年10月第2土曜日・日曜日に開催される無病息災と五穀豊穣を祝う「春日祭」では、「東組神輿」「西組神輿」による神輿の氏子巡行が行われる。

猿丸神社(さるまるじんじゃ)

宇治田原町にある猿丸神社(さるまるじんじゃ)は、創建年代は不明であるが、1645年(正保2年)に社殿が再建されたと伝わる神社で、瘤(こぶ)や腫れ物(できもの)の治癒にご利益があるとされる「瘤取りの神様」として信仰されいる。平安時代の三十六歌仙の一人・猿丸太夫(さるまるたいふ、だゆう)を御祭神とするのが名前の由来で、猿丸太夫が詠んだと言われている小倉百人一首4番の「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき」のように、紅葉の名所として知られている。

敷地神社(しきちじんじゃ)

金閣寺にも近い京都市北区にある平安時代以前に創建された言われる敷地神社(しきちじんじゃ)は、安産祈願や子授け、初誕生祭など、子育てに関するご利益があるといわれ、安産祈願の際に妊婦さんが藁(わら)のお守りを持ち帰る風習から「わら天神宮」と呼ばれるようになった。

地主神社(じしゅじんじゃ)

清水寺の境内にあり、縁結びの神様として有名な地主神社(じしゅじんじゃ)の創建は神代まで遡り、京都でも最も古い歴史を持つ神社のひとつと伝えられている。現在の本殿は徳川家光によって再建されたもの。境内には「恋占いの石」という二つの石があり、目を閉じて無事たどり着ければ恋が叶うという。

篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)

亀岡市にある篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)は、河内源氏の棟梁・源頼義が勅宣(天皇の命令)を受けて1071年(延久3年)に誉田八幡宮(こんだはちまんぐう、大阪府)から八幡神(応神天皇)を勧請し創建した神社。1333年(元弘3年)に後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利尊氏がが六波羅探題を攻め落すために挙兵した場所、また、明智光秀も本能寺に向けて出陣する際に兵を集めた場所とも言われている。境内には、挙兵の際に尊氏が旗を立てた「旗立楊(はたたてやなぎ)」や、尊氏が奉納した鏑矢(かぶらや)が積み上げられた場所とされる矢塚や椎の木がある。

下鴨神社(しもがもじんじゃ)

京都市左京区にある「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」として親しまれている賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、1200年以上の歴史を持つ京都最古の神社のひとつで、世界文化遺産にも登録されている。上賀茂神社とともに皇城鎮護の神として崇められ、五穀豊穣や厄除けの神として信仰されている。京都三大祭りのひとつ「葵祭(あおいまつり)」の舞台として知られている。

下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)

京都御所にも近い京都市中京区にある下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、平安時代に京で流行した疫病の原因とされた「怨霊」を鎮めるために「御霊会」が行われたのが起源と言われ、現在は「病気平癒」や「厄除け」のご利益があるとされている。当初は上御霊神社の南にあったため「下御霊神社」と呼ばれるようになった。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の都市整備により現在の地に移転した。境内から湧き出る「御香水(ごこうすい)」は参拝時に飲むことができる。毎年5月に「御霊祭」が開催される。

出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)

豊臣秀吉が1587年(天正15年)に聚楽第に勧請した稲荷社が始まり。名前の由来は、後陽成天皇が「聚楽第行幸」の際に、秀吉の立身出世にあやかり「出世稲荷」の号を与えたと伝えられている。聚楽第取り壊し後も元の場所に鎮座したが、その後、二条城西方の千本通沿い、そして2012年(平成24年)に大原に移転した。名のとおり、開運出世のほか、生業の繁栄、千客万来、金銀財など10種のご利益があるとされている。

城南宮(じょうなんぐう)

京都市伏見区にある城南宮(じょうなんぐう)は、平安遷都の794年(延暦13年)に都の「南の守護神」として創建された神社。「方除(ほうよけ)の大社」として、引越し、工事、旅行などの災難を避けるご利益で広く信仰されている。源氏物語に描かれた植物が植栽されている「源氏物語花の庭」や、琴の音色の中、流れる杯を歌人が受け、和歌を詠む優雅な行事「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」が見どころ。また、戊辰戦争で薩摩軍の砲撃により鳥羽・伏見の戦いの口火を切った場所でもある。

白峰神宮 (しらみねじんぐう)

京都市上京区飛鳥井町にある白峯神宮(しらみねじんぐう)は、1868年(慶応4年)に明治天皇が讃岐の白峰陵から崇徳天皇の神霊を、淡路の天王森から淳仁天皇の神霊を移して創建された。蹴鞠(けまり)の神様「精大明神」を祀ることから、サッカーをはじめとする球技の上達を願う人々が多く訪れる。

水火天満宮(すいかてんまんぐう)

京都御苑にも近い京都市上京区の水火天満宮(すいかてんまんぐう)は、平安時代の923年(延長元年)に醍醐天皇の勅願により建立された菅原道真を祀る神社で日本最初の天満宮ともいわれる。
※天満宮とは、菅原道真(天神)を祀る神社のことで、北野天満宮(京都)、太宰府天満宮(福岡)大阪天満宮(大阪)など全国各地に存在する。

須賀神社(すがじんじゃ)

京都都市左京区にある須賀神社(すがじんじゃ)は、縁結び、家内安全、厄除け、商売繁盛などのご利益があるとされる「須賀神社」と、1964年(昭和39年)に交通安全や旅行の安全を守る「交通神社」が併設された神社。869年(貞観11年)平安神宮の境内に「西天王社(にしていのうしゃ)」として創建されたが、鎌倉時代に兵乱で吉田山に移転、1924年(大正13年)に現在の氏子地に移転した。毎年2月に開催される独特な「懸想文(けそうぶみ)」を売り歩く節分祭も有名。

晴明神社(せいめいじんじゃ)

平安時代の陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)を祀る晴明神社(せいめいじんじゃ)は、晴明の業績を称えた一条天皇によっての屋敷跡に創建された神社で、魔除け・厄除けのご利益があるとされる。境内には晴明桔梗印(せいめいききょういん)(五芒星)があしらわれた社紋や式神の石像などがある。また、晴明が使ったとされる「晴明井(せいめいい)」や「厄除桃(やくよけもも)」なども有名。

大将軍神社(だいしょうぐんじんじゃ)

京都にある複数の「大将軍神社」の中で特に有名なのは「大将軍八神社」と東山区にある「大将軍神社(西賀茂)」の2社で、桓武天皇が平安京遷都の際に、京の四方に大将軍神が祀られ、大将軍神社(西賀茂)は、産土神(うぶすながみ)として北方の守護神とされた。現在の本殿は、上賀茂神社摂社である片岡神社の本殿を寛永年間(1628〜1644年頃)に移築したもの。賀茂社特有の建築様式を色濃く残した京都最古の賀茂社建築とも言われ、1984年には京都市指定文化財に指定されている。

大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)

平安京の創建時、桓武天皇の勅願により王城鎮護のために創建されたと伝わる大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)は、平安京の四方に祀られた「大将軍神」を起源とする神社で、特に方除けや厄除けの神として信仰されている。「大将軍神」は陰陽道における方位神であり、建築や移動など、あらゆる厄災から人々を守護するとされている。

瀧尾神社(たきおじんじゃ)

東福寺にも近い京都市東山区の瀧尾神社(たきおじんじゃ)は、大丸の創業者である下村彦右衛門正啓が商売繁盛や家運隆盛を祈願したと伝えられていることから、仕事運、商売繁盛のご利益あると言われる。江戸時代後期の彫物師・九山新太郎による拝殿天井の全長8mの巨大な「木彫り龍」は、夜な夜な動き出すと噂され、金網が張られたという逸話も残るほど躍動感あふれる作品。

建勲神社(たけいさおじんじゃ)

京都市北区の船岡山の高台に位置する建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれている。本能寺で信長が倒れた1582年(天正10年)、秀吉の手により葬儀が行われた大徳寺の南に位置する船岡山に寺院を設け、像を安置することが計画されたが途中で中止になっていた。1869年(明治2年)に明治天皇により創建され、1875年(明治8年)に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)に列せられた。
※別格官幣社とは、明治政府が定めた神社の社格のひとつで、国家のために特別な功労のあった人物を祀る神社に与えられた。豊国神社(京都)、靖国神社(東京)、久能山東照宮(静岡)などがある。

武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)

京都市中京区にある武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)は、平安時代初期の859年(貞観元年)に、右大臣であった藤原良相が創建し、その後、藤原武信という人物が信仰したことから「武信稲荷」と呼ばれるようになった。童謡「一寸法師」の歌に出てくる「京は三条の大臣殿」が創建した藤原良相のことだと言われていることから、童話ゆかりの地となっている。また、坂本龍馬とおりょうの逸話が残る樹齢850年の「御神木の榎」があり、商売繁盛や必勝の御利益があるとされる。

月読神社(つきよみじんじゃ)

京都最古の神社の一つである松尾大社(まつのおたいしゃ)の摂社である月読神社(つきよみじんじゃ)は、平安時代の法令集「延喜式(えんぎしき)」にも記載されている古社で、天照大神の弟・月読尊(つきよみのみこと)を祀る安産の守護神として篤く信仰される神社。神功皇后が安産のために腹に巻いたとされる「月延石」は、月読尊の神託により舒明天皇が筑紫(古代九州を指す)から持ち帰り奉納されたと伝わる。
※「延喜式」とは、平安時代中期に醍醐天皇の命令で編纂された律令の施行細則を記した法典。ほぼ完全な形で残る唯一の格式(法令集)であり、古代日本の政治・行政・経済・祭祀などについて詳細な規定が記されている。

伴氏社(ともうじしゃ)

京都市上京区にある伴氏社(ともうじしゃ)は、菅原道真の母である伴氏を祀る北野天満宮の末社。北野天満宮が創建された947年(天暦元年)以降に創建されたといわれる。

豊受大神社(とようけだいじんじゃ)

福知山市にある豊受大神社(とようけだいじんじゃ、「元伊勢外宮豊受大神社(もといせげくうとようけだいじんじゃ」)は、「神道五部書」などの記述によると、5世紀後半(雄略天皇22年)に、倭姫命(やまとひめのみこと)のお告げにより、天照大神のお食事をつかさどる神様・御饌都神(みけつかみ)として豊受大神が丹波国から伊勢神宮へ遷される際に、一時的にこの地に祀られたのが始まりと伝わる神社。
※元伊勢三社とは、「皇大神社(こうたいじんじゃ、元伊勢内宮)」と「豊受大神社(元伊勢外宮)」の伊勢神宮の元宮、「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の3社(すべて福知山市)を指す。

豊国神社(とよくにじんじゃ)

方広寺のすぐ隣、三十三間堂からも近い京都市東山区の豊国神社(とよくにじんじゃ)は、秀吉の死後、1599年(慶長4年)遺言により創建された神社。1615年(慶長20年)大阪夏の陣による豊臣氏滅亡後、徳川幕府によって廃絶されたが、明治天皇の勅命により再興された。出世開運や良縁成就の神様として信仰されている。
※京都の豊国神社は「とよくにじんじゃ」、大阪の豊国神社は「ほうこくじんじゃ」と読む。

長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)

長岡京市にある長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)は、901年(延喜元年)に菅原道真が太宰府へ左遷される際に立ち寄り名残りを惜しんだ場所に木像を託したことが起源とされ「見返り天神」として祀られている。境内の東に広がる八条ヶ池は、江戸時代初期に桂離宮を造営した八条宮智忠親王(はちじょうのみやとしただしんのう)によって築造され、その中央に造営された参道に植えられた樹齢170年を超えるキリシマツツジは、4月中旬から下旬にかけて見頃を迎える。現在の本殿は、1941年(昭和16年)に平安神宮の社殿を拝領して移築したもの。

梨木神社(なしのきじんじゃ)

京都府京都市上京区にある梨木神社(なしのきじんじゃ)は、明治維新に貢献した三條實萬(さねつむ)・實美(さねとみ)父子を祀る神社。境内に約500株の萩が植えられており、別名「萩の宮」とも呼ばれる。また、境内には京都三名水のひとつに数えられる「染井の水」がある。
※京都三名水は、京都で古くから名水として知られる「染井」「佐女牛井」「縣井」の三つの井戸で、現存するのは梨木神社の「染井」のみ。

錦天満宮(にしきてんまんぐう)

京の台所「錦市場」の東端にある錦天満宮(にしきてんまんぐう)は、「錦の天神さん」と呼ばれ繁華街の鎮守社として親しまれている。菅原道真の父の旧宅「菅原院」が始まりで、天正年間(1573~1592年)に豊臣秀吉の都市計画により現在の場所に移転した。

若一神社(にゃくいちじんじゃ)

京都市下京区にある若一神社(にゃくいちじんじゃ)は、平清盛が別邸「西八条第(にしはちじょうてい)」を造営した際に、発見された「若一王子」の御神体を社殿を建てて祀ったのが始まり。その翌年、清盛が太政大臣に就任したことから「開運出世の神」として篤く信仰されるようになった。清盛が太政大臣就任に感謝して手植えしたとされる御神木や、開運出世の水として古くから知られる御神水が見どころ。

野宮神社(ののみやじんじゃ)

平安時代初期の約800年頃に創建された「野宮社」が前身の野宮神社(ののみやじんじゃ)は、元々は伊勢神宮に仕える斎王(さいおう、いつきのみこ)が伊勢へ行く前に身を清める野宮(ののみや)であった。現在は縁結びや子宝安産の神様として信仰を集めるパワースポットとして人気がある。源氏物語の「賢木の巻」にも野宮の様子が描かれている。
※斎王とは、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるために選ばれた未婚の皇族女性のこと。

白山神社(はくさんじんじゃ)

京都市役所にも近い京都市中京区の白山神社(はくさんじんじゃ)は、後桜町天皇が歯痛に苦しんだ際、この神社から授かった神箸(しんばし)と神塩でたちまち治ったという言い伝えから、現在でも歯痛平癒の祈願をする際、神箸と神塩がお守りとし授与される。

橋姫神社(はしひめじんじゃ)

京都府宇治市にある橋姫神社(はしひめじんじゃ)は、源氏物語「宇治十帖」ゆかりの地で、宇治橋の守り神で水の女神・瀬織津姫(せおりつひめ、橋姫)を祀る神社。京都屈指の縁切りスポットとしても知られているが、その昔、男に捨てられたある公卿の娘が貴船神社の神託を受けて21日間宇治川に浸かったところ、娘は鬼と化し、恨みを抱く男と相手の女性を襲ったという伝説から、橋姫は嫉妬深く怖い鬼女というイメージが生まれ「縁切りの神」としても信仰されるようになった。これが日本に伝わる呪いの儀式「丑の刻参り(うしのこくまいり)」の原型になったとも言われている。
※丑の刻参りとは、 丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁(わら)人形を釘で打ちつけるという儀式のこと。

薭田野神社(ひえだのじんじゃ)

709年(和銅2年)に創建されたと伝わる京都府亀岡市の薭田野神社(ひえだのじんじゃ)は、保食命(うけもちのかみ)、大山祇命(おおやまつみのかみ)、野椎命(のづちのかみ)を祀り、五穀豊穣や女性の守り神として信仰されている。特に、境内の樫の木の瘤(こぶ)を撫でると癌にならない「癌封じの神社」とされている。

日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)

古墳時代の487年頃に創建されたと伝わる京都市山科区にある日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)は、伊勢神宮を模した内宮・外宮の「神明造り(しんめいづくり)」の社殿が京都では非常に珍しい神社。境内奥にある「天の岩戸」は人が一人通り抜けられるほどの穴があいた岩で、これをくぐり抜けると開運厄除の御利益があるとされている。応仁の乱で焼失したが、その後、徳川家康らの支援により再建され、現在の社殿が整えられた。
※「神明造り」とは、伊勢神宮正殿に代表される、古代の高床式倉庫を起源とする神社本殿の建築様式のこと。

平岡八幡宮(ひらおかはちまんぐう)

京都市右京区にある平岡八幡宮(ひらおかはちまんぐう)は、809年(大同4年)に空海(弘法大師)が神護寺の守護神として創建したと伝えられている山城国最古の八幡宮。室町時代に火災で焼失後、足利義満によって再建され、現在の本殿は、江戸時代の1826年(文政9年)修復されたもの。本殿内陣には極彩色の花絵44面が描かれた「花の天井」があり、春と秋に特別公開される。また、樹齢300年を超える紅椿など約200種の椿や秋の高雄もみじの紅葉がみどころ。

平野神社(ひらのじんじゃ)

京都市北区平野にある平野神社(ひらのじんじゃ)は、平安遷都の際に平城京から遷座したいう由緒ある神社。平安時代から桜の名所として知られ、特に「平野の夜桜」として有名で、寛永年間(1624~44年)に建築された「平野造」と呼ばれる独特の形式の本殿は、国の重要文化財に指定されている。

藤森神社(ふじのもりじんじゃ)

藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、約1800年前に神功皇后(じんぐうこうごう)によって創建されたと伝わる古社。菖蒲の節句(しょうぶのせっく)発祥の地としても知られ、菖蒲と尚武(しょうぶ)をかけて、武道や武勇を重んじる尚武の精神を象徴する神社となった。武運長久、勝運、必勝などのご利益を願い、多くの競馬関係者やスポーツ選手、受験生などが参拝する。
※菖蒲の節句は、「端午の節句」の別名で、5月5日に行われる男子の成長を祝う行事。

福王寺神社(ふくおうじじんじゃ)

京都府京都市右京区にある福王子神社(ふくおうじじんじゃ)は、付近に班子女王(はんしこうごう、光孝天皇の后で宇多天皇の生母)の陵墓があったことから班子女王が祀られるようになり、宇多天皇が創建した仁和寺の鎮守神として信仰されるようになった。応仁の乱(1468年)で焼失したという深川神社の跡地に1644年(寛永21年)に徳川三代将軍家光によって再建された本殿、拝殿、鳥居、石燈籠一式が重要文化財に指定され、特に屋根の「木賊葺(とくさぶき)」が特徴がある。

伏見稲荷神社(ふしみいなりじんじゃ)

711年(和銅4年)に創建された伏見稲荷大社は、「千本鳥居」で有名な全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮。親しみを込めて「お稲荷さん」とも呼ばれている。

平安神宮(へいあんじんぐう)

平安神宮は、平安遷都1100年を記念して1895年(明治28年)に創建された桓武天皇と孝明天皇を祀る神社。平安京の正庁である朝堂院を模した朱塗りの社殿が特徴の神社。毎年10月22日に行われる「時代祭」は、延暦時代から明治維新までの各時代の風俗を再現した時代風俗行列が見どころ。行列は、京都御所から平安神宮まで約4.5kmを練り歩く。
※延暦時代(えんりゃくじだい)とは、794年(延暦13年)の平安京遷都など、桓武天皇の治世(782年~806年)を指す。

松尾大社(まつのおたいしゃ)

京都府京都市西京区にある松尾大社(まつのおたいしゃ)は、701年(大宝元年)に創建された京都最古級の神社のひとつで、平安京の西を守る神として知られている。また、酒造の神様」としても知られている。
※四神相応と神社は、東:青龍(せいりゅう)と八坂神社、西:白虎(びゃっこ)と松尾大社、南:朱雀(すざく)と城南宮、北:玄武(げんぶ)と上賀茂神社。

眞名井神社(まないじんじゃ)

京都府宮津市にある眞名井神社(まないじんじゃ)は、衣食住の神様として信仰される豊受大神(とようけおおみかみ)を祀る神社で、五穀豊穣や商売繁盛、開運厄除のご利益があるとされている。天橋立の近くにあり、霊水が湧き出す、パワースポットとしても人気がある。

御金神社(みかねじんじゃ)

京都市中京区にある黄金に輝く鳥居が特徴の御金神社(みかねじんじゃ)は、金属や鉱物の神様である金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀っていることから、お金や資産の御利益があるとされている。宝くじ当選や商売繁盛、資産運用など、金運にまつわる幅広い願いごとをする参拝者が全国から訪れる。御神木のイチョウにちなみ、境内には金色の絵馬が数多く奉納されている。

三宅八幡宮(みやけはちまんぐう)

京都市左京区にある三宅八幡宮(みやけはちまんぐう)は、遣隋使の小野妹子(おののいもこ)が隋へ渡る途中、筑紫(現在の北九州)で病気にかかった際、宇佐八幡宮(大分県)に祈願して病気が治癒したことから、帰国後に宇佐八幡宮から八幡神を勧請(かんじょう:神様を招いて祀る)して創建されたと伝えられる歴史のある神社。もともと「田の虫除け」の神として信仰されていたが、転じて子供の「かんの虫封じ」の神として信仰を集め、後に「虫八幡さん」とも呼ばれるようになった。毎年9月14、15日に開催される「秋期大祭」では、国の重要有形民俗文化財に指定されている数百枚の絵馬が公開される。

向日神社(むこうじんじゃ)

向日市にある向日神社(むこうじんじゃ)は、奈良時代の718年(養老2年)に創建されたと伝わる延喜式神名帳にも記録されている古社で、五穀豊穣の神・向日神(むかひのかみ)を祀る神社。豊臣秀吉が朝鮮出兵のため肥前名護屋城へと向かう途中に向日神社で休憩をしたと言われている。大鳥居から本殿まで続く参道は「桜のトンネル」として春には多くの人で賑わう。1422年(応永29年)に完成した室町時代の代表的する建築様式である「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」は国の重要文化財に指定されており、明治神宮の本殿のモデルになったと広く知られている。
※流造(ながれづくり)とは、本を伏せたような形の切妻屋根を持ち、正面の屋根が長く伸びて曲線状に反っている様式のこと。

諸羽神社(もろはじんじゃ)

京都市山科区にある諸羽神社(もろはじんじゃ)は、平安時代の貴族・人康親王(さねやすしんのう)ゆかりの神社。「平家物語」にも登場する「諸羽山(もろはやま)」の麓にあった人康親王の山荘跡が境内となっている。琵琶の名手として知られる人康親王が隠棲(いんせい=世間から離れてひっそりと暮らすこと)していた山荘で、盲目の人々に琵琶などを教えていたことから、「琵琶法師」の祖神、芸能や福祉の神として崇められている。

八坂神社(やさかじんじゃ)

「祇園さん」で親しまれている祇園の氏神として知られる八坂神社は、全国に約2,300社ある八坂神社や日本神話に登場する神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟・素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る神社の総本社。

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)

京都市東山区にある安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は、飛鳥時代に藤原鎌足が藤寺を創建して家門の繁栄を祈願したのが始まりで、奈良時代に主祭神である崇徳天皇を祀る神社として正式に整備された。崇徳上皇が一切の欲を断ち切るために讃岐の金刀比羅宮に籠られたことから、人の縁だけでなく、悪い習慣や病気など、あらゆる悪縁を断ち切ると同時に、良縁を結ぶご利益があるとされている。1.5mの高さ、3mの幅の絵馬のような形の巨石「縁切り縁結び碑」には無数の「形代(かたしろ)身代わりのお札」が貼られている。

由岐神社(ゆきじんじゃ)

鞍馬山の山腹に位置する神社(ゆきじんじゃ)は、940年(天慶3年)に平安京の北方鎮護を目的に創建された神社。豊臣秀頼が再建した貴重な桃山建築の「割拝殿(わりはいでん)」は、社殿の中央を参道が通り抜ける舞台造で左右対称という珍しい構造になっている。京都御所から由岐大明神を鞍馬へ勧請した際に松明で道中を照らしことが起源とされる京都三大奇祭のひとつ「鞍馬の火祭」が毎年10月22日に行われる。

吉田神社(よしだじんじゃ)

平安京の鎮守神とは、平安京とその周辺を守護するために祀られた神々のことで、四方に配置された四神やそれらを守護する神社、東:八坂神社(蒼龍)、西:松尾大社(白虎)、南:城南宮(朱雀)、北:上賀茂神社(玄武)、そして平安京の鬼門と裏鬼門を守る神社(北東:吉田神社、南西:石清水八幡宮)がある。また、四神の中心となる場所を司る神として、平安神宮が創建された。京都大学にも近い吉田神社(よしだじんじゃ)は、平安京の鎮守神として859年に藤原山蔭が奈良の春日大社から四柱の神を勧請し創建した。

離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)

乙訓郡大山崎町にある離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)は、 859年(貞観元年)に宇佐八幡宮(大分県)から八幡神を迎え分霊が祀られた神社。その後、男山に創建された石清水八幡宮の元社となった。 離宮八幡宮の神官が搾油器を発明して荏胡麻油(えごまあぶら)の製油を始めたことから、日本の油業の始まりの地と言われている。鎌倉時代以降、神社の神人(じにん)が油の専売権を独占して全国の油商人を支配する「油座」が結成されたが、織田信長の「楽市楽座」によって廃止された。幕末に起こった「禁門の変」では、会津藩・新選組に追われ撤退する真木和泉守ら17名の勤皇の志士が天王山へ向かう際に立ち寄った場所とされ、彼らはその後、天王山で自刃した。

六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)

京都駅からも歩いて15分のところにある京都市南区の六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)は、清和源氏の祖・源経基(みなもとのつねもと)の嫡男・源満仲(みなもとのみつなか)が、経基の遺言に従って応和年間(961~963年)に邸宅跡に社殿を建てたのが始まりと伝わる。現在の社殿は、徳川綱吉の時代に再建されたもの。経基は清和天皇の第六皇子・貞純親王(さだずみしんのう)の子であったため六孫王と呼ばれた。
※「源氏三神社」とは、多田神社(兵庫県)、壺井八幡宮(大阪府)と六孫王神社(京都市)の三つの神社を指す。

若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)

「若宮八幡宮」は日本の各地に存在する神社で、京都市東山区の若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐう)は、平安時代の1053年(天喜元年)に後冷泉天皇の勅願により源頼義が創建し、源氏一族や武士から信仰を集めた神社。応仁の乱で荒廃したが、1584年(天正12年)に豊臣秀吉の京都改造で東山に移され、さらに1605年(慶長10年)に現在の地に移転した。現在の本殿は、後光明天皇により1654年(承応3年)に再建されたもの。
※若宮とは、主に本宮(本殿)の主神の「御子神(みこがみ)(若宮)を祀る八幡宮であるか、本宮から勧請し創建された八幡宮を指す。

涌出宮(わきでのみや)

766年(天平神護2年)に創建され木津川市の涌出宮(わきでのみや)は、正式名称を「和伎坐天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)」といい、「雨乞いの神」として古くから信仰されてきた神社。古代の弥生時代の「涌出宮遺跡」の集落跡に建てられた境内からは、縄文時代や弥生時代の土器や住居跡が発見され、古代からこの地に人々が暮らしていたことが確認されている。その年の稲作の豊作を祈願する農耕儀礼の「居籠祭(いごもりまつり)」は「音無しの祭り」とも呼ばれる「山城地方最古の祭り」で毎年2月中旬に3日間にわたって開催される。




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