【現代訳】私は都の東南にあるの庵で、このように平穏に暮らしているというのに、世を憂いているから「憂し山」に移り住んだと噂する人がいるようだ。
解説:歌中の「うじ山(宇治山)」の「うじ」は「憂し山」の「憂し」に掛けた言葉で、「世をうじ山と」は「世を憂し山」となる。世間の人は、私が世の中を憂いて山奥の宇治山(喜撰山)に逃げるように移り住んだと噂しているが、当の本人は、そんなことは関係なく、ただ平穏に暮らしているよという歌。「いつの世も、人は他人の噂が好きでしょうがないものだ。」
【喜撰法師(きせんほうし 、生没年不詳)六歌仙の一人】
仙人のような生活を送っていたと言われているが、六歌仙の一人で宇治山の僧という他は経歴不明。
※六歌仙とは、「古今和歌集」の序文(仮名序)で挙げられた代表的な歌人で、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ぶんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、大伴黒主(おおとものくろぬし)、小野小町(おののこまち)の6人の平安時代の歌人を指す。「六歌仙」という名称は後世に付けられたもの。
正解。
【現代訳】私は都の東南にあるの庵で、このように平穏に暮らしているというのに、世を憂いているから「憂し山」に移り住んだと噂する人がいるようだ。
解説:歌中の「うじ山(宇治山)」の「うじ」は「憂し山」の「憂し」に掛けた言葉で、「世をうじ山と」は「世を憂し山」となる。世間の人は、私が世の中を憂いて山奥の宇治山(喜撰山)に逃げるように移り住んだと噂しているが、当の本人は、そんなことは関係なく、ただ平穏に暮らしているよという歌。「いつの世も、人は他人の噂が好きでしょうがないものだ。」
【喜撰法師(きせんほうし 、生没年不詳)六歌仙の一人】
仙人のような生活を送っていたと言われているが、六歌仙の一人で宇治山の僧という他は経歴不明。
※六歌仙とは、「古今和歌集」の序文(仮名序)で挙げられた代表的な歌人で、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ぶんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、大伴黒主(おおとものくろぬし)、小野小町(おののこまち)の6人の平安時代の歌人を指す。「六歌仙」という名称は後世に付けられたもの。